早期退職のノウハウ・体験談

早期退職に至るまでの30数年間 ~ 私のサラリーマン年表

早期退職直後にやった事

[Photo: PAKUTASO]

こんにちは、ヤス@ロコ父さんです。

これまでは「とりあえず無職の生活にソフトランディングする」ための

「早期退職後に必要な各種手続きを上手く乗り切る方法」の記事を書いてきました。

いわゆる「早期退職前後のノウハウ集」です。

このあたりで

「私が早期退職に至るまでの職務経歴」

「早期退職にどう向き合ったのか?」

「退職後の生き方をどう考えているのか?」

などについて書いてみようと思います。

 

バブル世代と呼ばれるが、就職したばかりで恩恵なし

私はバブル経済が崩壊する2-3年前に就職した、いわゆる「バブル世代」の一人です。

一般的に1980年代後半~1990年代前半に就職した人は「バブル世代」と呼ばれたりします。

ちょうど「団塊の世代」と「団塊ジュニア世代」に、はさまれています。

バブル世代という言葉の響きから想像すると

「とても良い時代だったのでしょう!羨ましいですね!」

と思われるかも知れません。

ですが実際のところはどうだったでしょう?

客観的に振り返ってみて思う事は、

  • 就職先には困らなかった(特に工学系は大半が推薦で決まっていた)
  • 大手メーカーは大量採用(同期が500人とかもザラ)
  • 大手資本をベースに新しいビジネスが次々と立ち上がった(特に情報通信業界)
  • 景気は良かった(ただし2-3年でバブル崩壊)

まあ普通にコツコツと授業や実験に出ていれば就職先には困らなかった時代です。

じゃあ

「バブルの恩恵を受けられたのでしょう?運が良かったですね!」

なのかと問われると、実はそうでもないんです。

  • 社会人になりたてなので給料は安い、土地や株など投資できるお金が無い
  • 社会人になって僅か2-3年でバブル崩壊、まもなく不況に突入(天皇も崩御)
  • バブル崩壊のあおりりで転職した知人も少なからずいた

なので「バブル世代」と呼ばれていても、良かったのは「就職活動が楽だった」くらいなんです

むしろ就職先が証券業界や不動産業界だったりした人は転職した人の方が多いくらいです。

教訓:

  • バブル世代とはバブル経済の恩恵をフルに享受できた人たちではない
  • 世間で言われるバブル世代とは、新人の頃にバブル経済を経験した人々のこと
  • 就職しやすかっただけで、今はリストラの嵐に晒されている
  • 若くしてバブル経済崩壊の犠牲者になった人も少なくない

 

私の転職回数は多い方

私は30数年間のサラリーマン人生の中で2回の転職を経験しました。

つまり在籍した会社の数は「トータル3つ」で、この世代としては転職回数は多い方です。

  • ベンチャー ⇒ ベンチャー ⇒ 大企業

※2つのベンチャーは何れも情報通信業界で複数の大企業が出資して設立

若いころにベンチャーを志向したのは多分に、自分の仕事に関する「こだわり」みたいなものがあって、

「やりたいと思う仕事につきたい」

「仕事の内容と処遇のバランスが取れていないと納得しない」

「チャレンジしがいのある仕事が好き」

若かりし血気盛んな頃はこんな風に思っていました。

就職や転職したときの思いを簡単に表現するとこんな感じです。

[1] 就職前の考え

  • 大手メーカーの大量採用組にはなりたくない
  • 人とは少し違ったことがしてみたい
  • 新しいことをやってみたい
  • 大企業の資本がバックに付いているベンチャーに就職した

[2] 実際はどうだったのか?

  • 想像以上に面白い仕事(情報通信業界)
  • 人生の師匠と呼べる人と出会う
  • 給料が安い
  • 会社の先行き不安
  • 給料への不満と会社の先行きに見切りをつけて1回目の転職を決断

[3] 1回目の転職はどうだったのか?

  • 給料への不満は完全に解消された
  • 仕事の内容は面白い(情報通信業界)
  • バブル崩壊後にも関わらず情報通信業界は不景気感があまりなかった
  • 海外経験も積むことができて英語力も伸びる
  • 業界が狭いがゆえに長くやっているとマンネリ感や業界自体の頭打ち感に悩まされ始める
  • 当時盛り上がり始めようとしていたブロードバンドインターネット通信がやりたくて2回目の転職を決断

教訓:

  • 終身雇用制度の全盛期でも転職した人は少なからずいた(例えば2000年代のインターネット成長期を支えた人々の多くはバブル世代の転職組)
  • 安定を求めて大企業に入るか、成長を求めてベンチャーに入るかは、その人の考え方次第
  • ベンチャーの9割は、10年後には消滅しているので、スキルや資格などプロとしてやってゆく努力が必要
  • 単純に「お金」と「安定性」だけで見ると、大企業が有利
  • ベンチャーに行くのは株を買うのと同じこと、大半の人が損をする(若干名は大成功する)

それでも

「若いうちはベンチャー的な職場を経験することをおすすめする」

のが、わたし個人の意見だったりします。

 

2回目の転職はどうだったのか?

3社目に転職した理由は非常に明確で「インターネット通信関連の事業立ち上げからエンジニアとして参加したい」でした。

入った会社は大企業でしたが、その会社に入ることが目的ではなくて、「社内ベンチャー」的な事業部に入ることが目的でした。

今では死語となりましたが「ブロードバンドインターネット」(当時はADSLが普及する直前)が普及し始める直前のタイミングで事業の立ち上げに参画して、2000年代前半のブロードバンドインターネットの急速な普及に後押しされて事業も急成長しました。いま思い返しても、サラリーマン人生の中でも最も充実した日々を過ごすことが出来た12年間です。

素晴らしい仕事仲間にも恵まれて、事業開始から4年目で単年度黒字達成、6年目で累積一掃達成、11年目で年商40億円弱・利益率10%という事業に成長しました。

ところが事業開始から12年目頃に成長は鈍化してしまい踊り場に入りました。

このタイミングで私自身にも転機がやってきました。

まず1つ目は、これまで事業の立ち上げから一緒に苦楽を共にしてきた上司(事業部長)が残念ながらも病気(神経系の難病)に罹ってしまい、早期退職を決めたことです。

この事業立ち上げに引っ張ってくれた恩人で、片腕として頑張ってきたつもりでしたが、残念ながら発病後はパワハラ言動が目立つようになり、私は2-3週間不眠症になった時もありました。

2つ目は、事業がグループ関連会社に移管(吸収)されることになり、同時に組織構造を変える必要に迫られたことです。私のポジションも微妙な感じになりそうでした。

3つ目は、郊外の事業所の方から「新規プロジェクトを立ち上げるので参画しないか?」と誘われたことです。IT系技術+英語ができる人が必要と言われて心が動かされました。

それで「これは何かのご縁だろう」と思い、私は郊外の事業所に異動しました。

教訓:

  • 急成長した事業もいつかは成長が止まる、うかうかしていると赤字に転落する
  • いったん成長が止まってしまうと(黒字が確保できていても)事業再編や吸収合併となるケースが多い
  • 長くても8年~10年を一区切りと捉えて、次のチャレンジを探した方が良い

 

50歳からB2BのIT系システムの設計現場に戻る

50歳目前にもなって異動した先は、郊外の事業所にある由緒正しい事業部でした。

祖業ともいえる事業です。

就職するときには「大手メーカーの大量採用組にはなりたくない」

と言って社会に飛び出した若者が、

「それから30年経ってみると大手メーカの大量採用組と一緒に仕事をしている」

とはなんという皮肉でしょう。

いつのまにか、「成長志向」「ハイリスク・ハイリターン志向」から「安定性重視の志向」「現状維持の志向」になった自分がいました。

でも自己矛盾感はあまりなかったです。(徐々に変化していったのでしょうか。。)

この50歳あたりでの異動のとき、マネジメント業務から設計現場業務に戻るということで、かなり落ち込んでいました。

再び転職という2文字が頭をかすめましたが、「中高生の子供の教育費」や「住宅ローンがまだまだある」ことを考えて会社に残ることを選択したのです。

ちなみに、大きな会社は事業部が違うと別会社のようなもので、ただ退職や再就職の面倒な手続きがないだけです。

郊外の事業所に異動後は心機一転、いち担当者に戻ってLAMPシステムの要件定義、設計、検証、海外含めた顧客への導入提案、導入SI、アフターサポートなど新しい仕事に打ち込みました。

それまでは8年間くらい現場から遠ざかっていましたが、

徐々に現場スキルも新しいIT技術トレンドに追いつくようにスキルとか知識が追いついて行きました。

普及が始まっていた仮想基盤などの新しい技術スキルも徐々に身に付きました。

また海外のお客様や販社の技術支援のために、年1度くらいは海外出張にも行き、前職(25歳~35歳のとき)で身に付けた英語力も再び活かすことが出来ました。

こんな感じで仕事の内容には全く不満はないのですが、ビジネスとしては成功しませんでした。

この「自分が立ち上げに深く関わった商材のビジネス的な成功・不成功」が見えたときには既に55歳になっていました。(=もう身動きが取れない年代)

そうこうしていると事業部の経営状況が数年ぶりに再び赤字に。。

「59歳まで今のまま何とかしのげれば」という期待は一気に崩壊し始めました。

2000年代前半までは、あるプロダクトが圧倒的な世界シェアを誇りドル箱ビジネスでしたが、いまや縮小均衡ビジネスの典型です。

そして7年ぶりに(通算では直近15年間で4回目の)早期退職特別優遇制度を併用した大リストラが始まりました。

教訓:

  • かつてドル箱ビジネスと言われた事業も、縮小均衡ビジネスとなりリストラを繰り返すようになる
  • 歴史は繰り返す:1980年代の日本の繊維不況、1990年代の米国の自動車不況、2000年代の日本のエレクトロニクス不況
  • 事業部が赤字になる度に、そこにいる中高年は格好のリストラのターゲットとなる
  • 赤字ビジネスに関わっていたら、いち早く抜け出す努力をする

 

私のサラリーマン年表の反省点

こうやって私のサラリーマン年表を振り返ってみると、20代前半で就職して社会に出てから(色々と紆余曲折はありながらも)中高年になるまでは、そこそこ納得できるサラリーマン人生を送ることができたと思います。

今さら遅いですが(笑)、問題は中高年になってからの(特に53歳以降の)身の処し方にあったように思います

つまり早期退職する直近の3〜4年間ということになります。

最後に「失敗談」と言うか「反省点」をまとめてみます。

  • いつの間にかバブル期の大量採用組と一緒に仕事をしてしまっていた
  • 同世代の社員が多く、通勤が楽だったこともあり、そこに埋没&安住してしまった
  • 事業部も全体が黒字の内は赤字プロジェクトも大目に見てくれた
  • 事業部が赤字体質に陥ってしまうと大規模な事業構造改革(リストラ)に着手せざるを得なくなる
  • そうなると中高年社員がリストラのメインターゲットになってしまう
  • リストラが始まってしまうと中高年はなかなか身動きが取れない

 

20代30代の内はかなりアグレッシブにやってきたつもりの私で、チャレンジ精神が旺盛で、自己都合の転職も2回しています。

ですが50代中盤になってからは「守りに入ってしまった」と思います。

子供の養育や住宅ローンがあったので守りに入るのも仕方ないのですが。。

思い返すと転機のチャンスを逃してしまったのかも知れません。

(転機ではなくて転落になっていた可能性もありますが、、)

 

以上、何かのご参考になれば幸いです。

 

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