こんにちは、ヤス@ロコ父さんです。
今回のテーマは、50代後半で早期退職した自分の「その後」「末路」です。
私の場合は57歳で事業構造改革(リストラ)によりやむなく早期退職しましたが、
同じ年代の方々にとっては「早期退職した後の人生」は最大の関心事ですので、
僭越ながら私が早期退職した後の「その後」「末路」を簡単にご紹介したいと思います。
早期退職するずっと前、20代~40代の盛りの頃
私が就職したのは1987年で、いわゆるバブル世代の一人です。
ちょうど「団塊の世代」と「団塊ジュニア世代」に挟まれている形になります。
バブル世代というと「とても良い時代だったのでしょう! 」「羨ましい!(妬ましい?)」と思われるかも知れませんが、客観的に振り返ってみて思う事は、
- 大手電機メーカーが大量採用していた時代で、就職には困らなかった(特に電子・計算機科学・情報処理)
- 通信の自由化やコンピュータ技術の発展によって大手資本をベースに新しい情報通信系のビジネスが次々と立ち上がった
じゃあ「バブルの恩恵を受けられたのでしょう? 」「運が良かったですね!」と言われると、実はそうでもないんです。
- 社会人になったばかりで給料は安かった(初任給は16万円くらい、20代後半になっても25万円くらい、悲;)
- 社会人になって暫くすると金融危機が来てしまい、証券・銀行系に就職した知人は転職した人も結構いました
なので、バブル世代と呼ばれても、良かったのは「就職活動が楽だった」くらいなもので、その後30年以上のサラリーマン人生からするとゴミみたいに小さな利点なのです。
と言うのも、私などは27歳と35歳の2回の転職を経て、ようやく親にも認めてもらえるような大手企業で働くことができるようになりましたので、最初に就職した会社は「まあ、いい経験をさせてもらった」くらいにしか思っていません。(既にその会社は存在していません)
新卒ではベンチャーのような小さな会社に就職したものですから、大手企業に就職した友人達からは変わり者扱いをされるし、心配性の私は「いつ潰れるかわからない」という不安感もありました。
それで20代中盤から10年間くらいは難関と言われる国家資格(無線・通信・情報処理・ネットワーク)を幾つか取得したりしました。
3社目は2000年に転職したのですが、当時「爆発的な普及が予想されたインターネットのビジネスに携わりたい」という思いから、某大手企業のインターネット関連の新規事業の立ち上げから参画しました。
それから10年後の2010年頃には利益率10%近くを叩き出す「社内ベンチャーとしては成功事例的な事業部」となり、この事業がうまく軌道に乗ったお陰で、私自身も一緒に成長することができて自信にもつながりました。
郊外の事業部に異動、明らかに盛りを過ぎた
しかし何事にも変化は付きもので、50歳目前にして転機が訪れます。
創業メンバーとして立ち上げから12年間苦楽を共にしてきた事業部が、上層部の身勝手な判断によってグループ会社へ移管される話が決まり、私にも転機が訪れました。
ちょうど会社全体も、時代遅れの外国人CEOによるバリューを毀損するだけのマネジメント、口先だけで格好つけの社外取締役による無能なマネジメントにより数千億円という巨額の赤字を垂れ流していた暗黒時代で、あちこちで大規模なリストラが行われていました。
大きな転機には「複数の不運」と「少しの運」が重なることがままあります。
1つ目は、事業の立ち上げから苦楽を共にしてきた上司(事業部長)が残念ながら神経系の難病に罹ってしまい59歳で早期退職を決めたこと。
2つ目は、せっかく育ててきた事業がグループ会社に吸収されることになり、統合後の組織イメージでは私のポジションも微妙な感じになったこと。
3つ目は、郊外の事業部の方から「新規プロジェクトを立ち上げるので参画しないか?」「IT系の技術が専門領域で、かつ英語もできる人が欲しい」とお誘いが来たことです。
それで、育ててきた事業部を(悪い見方をすれば)追い出されるように飛ばされた一方で、次のキャリアとして新規PJに誘ってくれる人も出てきたので、「これはご縁に従うしかない」ということで郊外の事業所に異動しました。
ですが、それまで事業部の主要幹部の様な仕事をしていた自分にとっては、気分的には「落ち武者」でした。
異動した先の事業部が赤字に転落、早期退職の予兆
50歳目前にして異動した先は「自宅からは程近い郊外の事業所」で、異動して良かったと最初の頃に思ったことは「通勤がすごく楽になった」ことでした。
そこでは管理職を離れて心機一転、LAMPシステムの要件定義・基本設計・国内外の顧客への提案・導入SI、技術アフターサポートなど、新しい仕事に打ち込むことになりました。
就職するときには「大手メーカーの大量採用組にはなりたくない」と言ってベンチャー的な通信会社に就職した私でしたが、それから30年経ってみると大手メーカの大量採用組と一緒に仕事をしているとは皮肉なものでした。
若い頃は「成長志向」「ハイリスク・ハイリターン志向」だった私でしたが、50歳を過ぎる頃にはいつの間にか「ローリスク志向」「寄らば大樹の陰志向」になっていました。
総論としては「落ち武者気分」で過ごした8年間でしたが、IT系の現場仕事に戻って、海外販社のエンジニア達とも連携しながら顧客にシステムを導入(海外出張)したり出来て、そこそこ充実していたと思います。
異動する前は管理職だったので現場からは遠ざかっていましたが、郊外の事業所にいた8年間で(錆び付いていた)現場スキルに再び磨きをかけ、仮想基盤上でのLAMPシステムの設計構築・海外を含む顧客への導入・設計者としてのお客様保守サポートなど新しい知識や現場スキルも身に付けることもできました。
こんな感じでしたので、やった仕事には大きな不満はないのですが、結論だけ言うとビジネスとしては成功しませんでした。
ビジネス的な成功・不成功が見えてきたとき、私はすでに55歳を過ぎていました。
その時所属していた事業部がプロダクト自体が2010年以降は陳腐化が始まってしまい、その結果として事業部は赤字に転落し、そして2020年を目前にして7年ぶりに「特別優遇制度と称した早期退職の募集」(リストラ)が始まったのでした。
私の担当していたビジネスも「近い将来に収束する」との決定が下され、人や部署を減らす計画が明らかになり、私の居場所も来期から無くなることが予想できました。
それで経営陣から提案されたリストラ策に乗る形で、しぶしぶ57歳で早期退職することにしたのです。
プータロー生活からの再就職、契約社員だけど
2020年春に早期退職したのですが、退職して無職になった途端にコロナ禍の非常事態宣言になりました。
Σ(・□・;)
まぁ「泣きっ面に蜂」とはこういう事です。。
この期間は世間も異常な状態に突入しつつあったので
「経済的にはもうセミリタイアでいいや」
「世の中がコロナから落ち着くまでは無職でもいいや」
って思いながら無職の生活を過ごしていました。
正直言って、私自身も「もうフルタイムで働きたいくないな~」という気持ちもありました。
でもIT系の仕事以外に打ち込めるものが見つからず、色々と自分で考えたり兄弟や友人達と話すうちに
自分の場合は「無職でダラダラと過ごすのは体と心に良くない」と判断して再就職することにしました。
ただし、収入が半減以下になることを許容して「再就職しよう!」となったものの、再就職先の仕事内容がキツかったりすれば「ブラック企業に再就職してしまった」ことになるので、その点は不安でした。
中高年を雇用してくれる所は「中小企業」がメインなのですが、ネットでの口コミ情報自体が少ないので外からは分からないのです。
結果的に「収入が少ないのは仕方ないと考えて、ITエンジニアとして教育機関で働く」という道を選んだのでした。
その考え方のポイントを列挙すると、以下の3点に集約できます。
- 自分が30歳のとき(1995年頃)に貰っていた給与より少なくなるため、これまでのプライドは捨てる
- 収入が少ないのにも係わらず、忙しく仕事しなければならないような(可能性のある)職場は避ける
- 教育機関であれば、生徒・学生たちが居なくなる「夜間」「休日・祝日」「夏休み」「冬休み」「春休み」などの時間帯・期間は仕事も忙しくないだろうと考えた
契約社員として再就職した、その仕事内容
私の場合、結論から申し上げると「時給なりの仕事の難易度&キツさ」になっています。
つまり自分が早期退職する前と比較すると、
「時給換算では50%以上の大幅ダウンだけど、仕事のキツさもそれに見合っている」
という実感があります。
予想通り「生徒・学生が居ない時間帯・期間」は仕事も忙しくないし、毎日定時で帰るのが普通です。
それから給与が少ないとは言っても、60歳以降で再雇用を選択していた場合よりも時給換算では20%~30%くらい多いです。
貯金は全くできませんが、すでに子供は独立して結婚しているし、住宅ローンも早期退職した時に完済したので、夫婦2人で暮らす分には何とかなっています。
たまに高額商品(エアコンや中古車など)を購入する際などは預貯金から取り崩しています。
一方で「再就職先での仕事内容」は、学内のITインフラ(ネットワークやサーバー)やPC(パソコン)の面倒を見ることです。
リスクが高くて高い専門性が要求される作業は専門ベンダーに外部委託します。
ネットワークやサーバーなどITインフラ設備更新の時などは休日出勤することも年に数回くらいありますが、振替休日を取ることがルールになっているので平日に気兼ねなく休みが取れます。
時には、埃が溜まったカーペットを剥がしてフリーアクセスを開けて、有線LANの敷設作業やトラブル対応など、手が汚れる仕事をすることもありますが、自分で手足と頭を動かして上手く対応できた時の達成感は得られます。
手足を動かしながらも頭も使うため、バランスが取れていて「案外、自分にはマッチしているかも」という感触です。
「こんな末路」ですが、健康で働けていれば良しとする
私の場合は幸か不幸か、50歳頃に管理職から離れて、Linuxをベースとしたシステムの設計/構築/運用/市場サポートという「現場」に再び戻りました。
単刀直入に言うと「統括管理職から降ろされた」「管理職みたいな待遇だけど仕事は担当者とあまり変わらない」「山手線ターミナル駅近くにある本社エリアから郊外の事業へ転勤」となり、50歳にして出世の目が完全に無くなった時は暫く不眠症になりました。
しかし今振り返ってみると、「管理職で早期退職するよりも、早期退職するまでの8年間は再び現場に戻って、実戦力・現場力に磨きをかけることができて良かった」と思います。
再就職後の私は、決して厚遇とは言えない契約社員ですが、老後資金を大きく食いつぶすことなく夫婦2人で生活するには足りる稼ぎができている点は重要なポイントです。
中小企業的な組織に再就職すると決めて、ITインフラだけではなく(手が汚れる)PC端末や床下LAN配線などの現場サポートもやってきた過程で、一流企業の出身者/管理職経験者というこれまでのプライドはほぼ無くなったと思います。
すでに還暦を過ぎた自分でも、「IT系の何でも屋」みたいな仕事をしてみると「新しい気付き」「学び」も沢山あるし、自分を頼りにしてくれる良心的な職員/社員も現れたりします(少数ですが)。
そういう意味ではもしもスムーズに再就職していたら、
「中小企業では扱いにくい、プライドが高い大企業出身者、現場では使い物にならないオヤジ」
となっていたかもしれませんが、
「肩の力が抜けた、現場仕事もこなせる自分」
へと変わることが出来たのは "無職の生活のお陰" なのかも知れません。
こういう視点でみれば、「無気力になっていた無職の生活も、あながち無駄ではなかったかも」と捉えることもできます。
以上、57歳でコロナの感染拡大と同時に早期退職して、しばらく無職の生活をして、何とか再就職したロコ父さんの「その後」「末路」のご紹介でした。
以上、同じ境遇の方々のご参考になれば幸いです。
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