こんにちは、ヤス@ロコ父さんです。
57歳で大企業を早期退職してみて初めて「大企業というのはある意味で恵まれた村社会であること」「井の中の蛙になっていたのかも」「社畜になっていたのかも」ーマンの姿として、
「子育てをしながら住宅ローンを返済する」
「少しでも収入が増えるように一生懸命仕事をする」
そうやって(ときには一生懸命に頑張りながらも)長らくドップリと仕事に浸っていると、
知らず知らずのうちに会社人間になっていたのかも。
会社人間ってなんだろう?
会社人間って聞くと、いかにも昭和的な古臭い響きがします。
そこで、会社人間とは何なのか調べてみました。
会社人間
「自分の生活の中で、会社の仕事を何よりも優先させる人。」
(出典元:三省堂 / 大辞林 第三版)
1990年代まで続いた日本の高度成長期に目立った生き方、つまり団塊の世代の人達に多く見られた生活スタイルとされています。
う~ん、高度経済成長が終わる頃に社会人になった私としては、いまいちピンときません。
でも私が新人の頃に団塊の世代の人達から仕事を教えて頂いたので何となくわかります。
その頃、自分が団塊の世代と接した経験から、
会社人間とは何だったのか?
を私なりに推測してみました。
会社人間の主な特徴:
- 家族と会社以外の人間関係が希薄
- 仕事中心の生活、自分の仕事に過剰な使命感を持っている
- 会社のレクレーションや社員旅行には積極的に参加する
一つ一つの特徴をみると今どきの30代や40代でもそこそこ居るかも?ということに気付きます。
当時の時代背景も考慮し、敢えて擁護するような見方をしますが、私の目には以下のように映っています。
- 携帯電話もメールもSNSもなかったので、会社での人間関係がメインにならざるを得なかった
- 冷蔵庫・洗濯機・カラーテレビ・マイカーなどを次々と買うこと、つまり物質的な豊かさで幸せになれた
- やればやるだけ仕事の成果が出るというケースも多く、自然と仕事にのめり込む
- 仕事をすればするだけ生活も豊かになって行く実感があった
すると、これまでステレオタイプで見てきた
「昭和世代の人間の問題」
という感じではなくて、時代背景というか、
「その時の経済状況・社会インフラ状況に影響されて、そうなってしまった」
とも思えてきました。
※ステレオタイプという言葉もかなり昭和な響きですね(汗;)
会社がコミュニティでもあった
会社人間の生活スタイルをもう少し掘り下げてみます。
事象1:社内結婚が多かった、仲人は会社の上役に依頼する
- 女性の方は(今は絶滅危惧種の)事務職を、結婚を機に退職することが多かった
- 事務職は自然と世代交代が進む
- いまで言うと「結婚を機に事務・庶務の派遣を一旦やめる」と同義
- 男性の方は仕事で成果を出そうというモチベーションになる
事象2:会社のレクレーションや社員旅行に積極的に参加する
- 仕事上の関係だけでなく、仕事を離れたときの付き合いも大事にする
- 家庭的な雰囲気が醸し出される
事象3:仕事を優先、仕事に使命感を持つ
- 仕事の成果が出しやすい時代背景
- 会社内の人間関係が重視されたことも相まって承認欲求も自然と満たされやすい
大事なポイントは、
■ 会社(法人)が人間の集合体としてのコミュニティを形成していた
■ 従業員が一人の人間として大事に扱われていた
ことにあると私は思っています。
当時からブラックな仕事・職場はありました、別に今に始まったことではありません。
私は、昔に比べるとブラックな仕事や職場の情報が、SNSなどで遥かに大量に速やかに拡散されているだけの事、だと思っています。
むしろ、昔(1990年~2000年代前半)の方が、SNSがないので情報が表に晒されず、厳しい思いをしていた人が多かった、のかも知れません。
会社のコミュニティ機能はなぜ破壊されてきたのか
最近になってようやく「会社の方も過剰なコミュニティ機能の喪失」に危機感を持ち始めたのでしょうか。
社内のレクレーション活動・社内運動会・社員旅行などに再び力を入れ始めるところが出てきました。
では、なぜ会社のコミュニティ機能は破壊されてきたのでしょうか?
私は以下のように考えています。
会社のコミュニティ機能の破壊要因:
- 成長産業の消失による長期停滞、人員削減の頻発と常態化
- 外国人経営者まかせのコストカット、事業構造改革、人員削減
- 外資系コンサルに言いなりの人事戦略、人事機能の低下
- 非正規の増加、クッションの役割だった出向者の減少
- 職場に常駐している外注会社&人数の増加による職場の利害関係の複雑化
この15年くらいで従業員数がそれまでの1/3とか、ひどい場合は1/2とか削減された企業も珍しくありませんし、吸収合併により名前が消えた大手企業も少なからずあります。
そのような(組織が激変するような)荒波に飲み込まれると、それまでコミュニティ機能を支えてきた人々の多くも失われてしまい、職場のコミュニティ機能が急速に弱体化したのだと私は考えています。
一方で、日本のエレクトロニクス・半導体業界がボロボロになって行った時期には、インターネット関連事業 や IT系SIer &インテグレーター事業などは右肩上がりの成長をしていたので、そういった会社においては逆にコミュニティ機能が強化されてきたのかも知れません。
いづれ会社人間から卒業しなければならない
「良い職場環境、良いコミュニティ機能、良い処遇(報酬)に対してネガティブに捉える人はいない」はずなので、
- 条件さえ整えば、会社人間(= 仕事人間)は今でも沢山いる
- 会社人間という言葉が、昭和の流行語大賞?みたいな感じの今では死語になっているだけ
と私は思っています。
自然と働く内に会社人間・仕事人間になってしまうような会社や職場もまだまだ多いと思うからです。
私は、「一時期、会社人間(仕事人間)になってしまうことは、別にネガティブなことではない」と思っています。
それどころか、
- 仕事に対する達成感&充実感が得られている
- 納得感のある適切な報酬が得られている
- 適度に自己承認欲求が満たされている
というプロセスになっていて、かつ正のスパイラルならば、健全と言えます。
しかし流石にそろそろ役職定年や早期退職も視野に入ってくる中高年になったら、
会社人間から卒業することを真剣に考えなければいけません。
私のケースを例に取ってみます。
数年前の「自分のやるべき事」を方程式で表現するとこんな感じです。
自分がやるべき事 = 仕事(50%)+子育て(30%)+その他(20%)
- 中高年にもなると子育て部分が消滅して行きます
- 中高年になると大概の人は仕事の部分が減少して行きます
- 大きな穴がポッカリ空いてしまいます
これを「穴」と捉えるか「ゆとり」と捉えるかは人それぞれですが、「お金儲けにこだわらなくてよい状況」「そろそろ別の生き方を模索するタイミング」になった方にとっては重要なポイントかと思います。
私の場合は、困ったことに「仕事がドカッと来ると、むしろやる気が出る」「仕事がヒマになると不安になる」という困った性格なので、「ゆとり」よりは「穴」の様な捉え方をします。
これには、自分の育った環境が影響していて、自営業で過酷な労働環境でも頑張っている親を見てきた(私も無償アルバイトとして手伝ってきた)ことが影響しています。
なので、私の場合は(2020年夏の時点ではまだプータロー生活を満喫中ですが;汗;)
適度なプレッシャーと自己承認を求めていづれは再就職するつもりです。
給料は安くても妥協するので
- 「プレッシャーがきつくない職場」
- 「自分のスキルや経験をもとに成果がだせる」
- 「IT関連の仕事で直接的に人に喜ばれる」
ような働き方を考えています。
以上ご参考になれば幸いです。
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