こんにちは、ヤス@ロコ父さんです。
早期退職する前のこと、勤務していた大手企業で50代中盤になるタイミングで「セカンドキャリア研修」なるものを受講しました。
「セカンドキャリア」とはキャリアチェンジを指す言葉です。
わかりやすい例としては
「相撲力士やプロ野球選手が引退した後に飲食店を始める」
などが思い浮かびます。
その研修では、グループディスカッションをしたり適性診断などをして「自分の好きなこと・したいこと」を見付けたりします。
ですが、1990年前後に終身雇用を前提としてサラリーマンになった世代にとっては、いまいちピンと来ないのではないでしょうか?
ご多分に漏れず私の場合も、研修を受けてはみたもののセカンドキャリアに向けて具体的なアクションにつながる起点とはなりませんでした。
50代半ばで「次にしたいこと」を持っていますか?
私の場合、30数年間にわたって情報通信・企業向けISPなどでIT系エンジニアリングの仕事をしてきました。
「やってきた仕事の内容は自分がしたいことか? それとも出来ればしたくないことか?」
と問われると即座に
「自分がしたいことをやって来ました」
と答えられます。
中学生の頃から自分でパーツを集めてはラジオを製作したり、高校生になると電気・アマチュア無線部の部長をしながら無線機や原始的なPC(MZ-80, PC-8001などのZ80機)を触ったりる事に夢中になっていました。
その頃から何となく「将来は電子、通信、計算機科学のエンジニア」をイメージしていたので
就職する際も「どんな仕事に就こうか?」と悩んだことがあまりなくて、ほぼ「自分がやってみたいと思う業界や職種」でエンジニアの道を歩んできました。
私は過去2回、20代後半と30代中盤で転職しましたが、その転職の動機は
「待遇の不満」
「会社の将来性への不安」
「人間関係の不満」
がおもな理由で、仕事内容が嫌だとは思ったことがありませんでした。
こんな私なので、
- エンジニアとしてやっている仕事の内容が嫌だと思ったことがない
- 実際にやってきた仕事内容がしたいことだった
のです。
ですから会社のセカンドキャリア研修を受けた時なども、
- キャリアチェンジってなに?
- 他に自分がしたい事と言えば趣味くらいしかないんだけど(釣り、ゴルフ)?
- どうすればいいの?
こんな調子だったのです。
(ここが私の浅墓な所なんですが、退職した今になってようやくわかりました。汗;)
おそらく会社でセカンドキャリア研修を企画した人の意図としては、
定年後も見据えて(主に次の仕事として)「自分がしたいこと」 (WANT)
を真剣に考えて欲しかったのでしょう。
シンプルに考えると、自分の場合は「したいことの部類に入るIT系の仕事」を「早期退職後もやれば良い」となります。
確かにそれも一つの選択肢ではあるのですが、この年になってくると「地域に根差した働き方」「直接的に人の役に立つ働き方」「定年を気にしなくていい働き方」への関心が強くなってきています。
「しなければならないこと」ってなんだろう?
私はこれまで、
- 結婚する
- 子供ができる
- 持ち家を取得する
などの理由で、
30代~50代半ばまでの20数年間を「しなければならないこと」(MUST) で生きて来ました。
ここで言う「しなければならないこと」を整理してみます。
- 衣食住、のために働いてお金を稼ぐ
- 自動車や家電を購入するために働いてお金を稼ぐ
- 子供を養育するために働いてお金を稼ぐ
- 住宅ローンを払うために働いてお金を稼ぐ
なんだか「お金を稼ぐ」ばかりで嫌な感じですが(笑)、
「稼ぐ」は手段で「持ち家を持つために住宅ローンを払う」が目的ですね。
下の方にゆくにつれて稼がなければいけない金額も大きくなります。
「子供を養育したり」「持ち家を購入したり」するためには沢山稼がないといけません。笑
これはごく一般的な生き方で、つまり多くの50代中盤に差し掛かる中高年は、
「しなければならないこと」(MUST) で20数年間を生きて来た
ということになります。
早期退職を機にMUST から WANT へのパラダイムシフト
ところが50代半ばの中高年になる頃には、
- 子供を養育することは終わった
- 住宅ローンは終わった
- 親も一部は他界して面倒を見る負担も少なくなった
という「MUSTが少なくなる」状況に変化してゆきます。
つまり、
これまでMUSTとしてやってきた「なるべく収入が多く」とか「なるべく社会的地位も高く」ではなく、逆の発想に転換してゆく必要
も出てくるのです。
⇒ 自分の中での MUST から WANT へのパラダイムシフト
パラダイムシフト:
パラダイムシフト ( paradigm shift )とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう
(引用元:Wikipedia)
別の言い方をすると
「好きなこと・やりたいこと、をやろうと思うなら、収入や社会的成功は二の次、三の次にする」
という心構えが必要なんだろうと思います。
- もしも、「好きなこと」をやりながら、かつ「高い収入」「社会的成功」も得ようとすると、いつの間にか「したいこと」(WANT)が「しなければならないこと」(MUST)になってしまうのではないか?
- 本当に「したいことをする人」は、昼飯や晩飯の時間も忘れるくらい「好きなこと」に没頭するくらいの勢いがある
と思います。
「できること」はMUSTか?WANTか?
ただでさえ、「MUST と WANT の生き方は分かっているつもりでも迷う人がいます」
(そう、私の事です、汗;)
しかも中高年ともなれば今まで身に付けてきた「スキル」「経験」「資格」があります。
これにより、「できること」 CAN という別の軸も出て来ます。
しかし「できること」について考えてみると、
- 長年仕事としてやってきたから「できること」になった
- 「できること」になったから、それが楽しくなった(好きになった)という人もいるはず
- 逆に「できること」にはなったが、好きにはならなかった(仕事と割り切ってやってきた)という人もいるはず
つまり、
「できること(CAN)」 は「MUST なり WANT なりの目標達成の手段・動機・補助的要素」
と考えた方が良さそうです。
では、「好きなこと」「したいこと」 とはなんだろう?
50代後半にして早期退職した後の「生き方」としては、こんな選択肢があるのでしょうか。
- 「仕事をしない」「趣味に生きる」「あるいは何もしない」
- 「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にして、取り合えず体を動かし頭を使う
- 「本当にしたいこと」ではないが、お金や社会的名誉のために仕事をする
私の場合は「65歳くらいまでは、"2" の生き方をしたい」と考えています。
たぶん "1" の生き方でも家計的には何とかなると思いますが、
自分の性格上 "1" の生き方は出来ない(やらない方がいい)と思っています。
(経済的に恵まれなかった思春期の影響、月月火水木金金だった親の影響、なのかも知れません..)
ちなみに私は資産運用(=株式の売買)が嫌いではありません。
細々とですが20年間もやってきているので、むしろ「好きな方」でしょう。
では「自分は資産運用も好きだから、それを仕事にしよう!」という考えるとどうなるのでしょう?
資産運用は一見「したいこと」WANT に見えますが、「しなければならないこと」MUST に近いと考えています。
なぜならば、私のか株式運用は「スリルを楽しむ」ためではなくて、「運用益のためにやっている」からです。
例えば、片手間でやっていた株式投資が、本業になったとたんに「より多くの報酬」を求めざるを得なくなり、
その時点で「好きなこと」「したいこと」からは乖離する恐れがあります。
私が思うに、
本当に "好きなこと" "やりたいこと" は "見返りを超えたところ" にあり、
それは一歩間違えると
「沢山あった退職金が、いつの間にか無くなっている」
ような生き方になる可能性が出てくるのではないか?
って考えるようになりました。
そして、結果として
「体を動かし」「頭を使い」「社会貢献をしながら」「衣食住に間に合う程度の報酬を頂く」
という生き方が、「自分には合っている」と思ったりする今日この頃です。
何かのご参考になれば幸いです。