こんにちは、ヤス@ロコ父さんです。
今回のテーマは「50代後半で早期退職した人の末路」です。
私は57歳で事業構造改革(リストラ)によりやむなく早期退職しましたが、
ちまたでは「早期退職した人の末路」というのが関心があるみたいですので、
僭越ながら私の場合の「末路」を簡単にご紹介したいと思います。
早期退職するずっと前、20代~40代の盛りの頃
私はバブル経済が崩壊する2-3年前に就職した、いわゆる「バブル世代(※)」の一人です。
※一般的に1980年代後半~1990年代前半に就職した人を指すようです
ちょうど「団塊の世代」と「団塊ジュニア世代」に挟まれている格好です。
バブル世代という言葉の響きから想像すると「とても良い時代だったのでしょう! 羨ましい!」と思われるかも知れませんが、客観的に振り返ってみて思う事は、
- 特に工学系は就職先には困らなかった
- 大手電機メーカーなどは大量採用していた時代
- 大手資本をベースに新しい情報通信系のビジネスが次々と立ち上がった
じゃあ「バブルの恩恵を受けられたのでしょう? 運が良かったですね!」なのかと問われると、実はそうでもないんです。
- 社会人になったばかりで給料は安かった(初任給は16万円くらい、20代後半になっても25万円くらいでした;悲)
- 社会人になってわずか2-3年でバブル崩壊、まもなく不況に突入(おまけに昭和天皇も崩御)
- バブル崩壊で転職した知人も結構いた
なので「バブル世代」と呼ばれていても、良かったのは「就職活動が楽だった」くらいなもので、就職先が証券業界や不動産業界だった人は就職して数年もたずに転職した人の方が多かったのです。
私はその頃、20代後半から一念発起して自己啓発に励み、難関と言われる国家資格(通信、無線)を幾つか取得したりしました。
30歳を超えた1990年代後半あたりから、当時働いていた職場でコンピュータシステムの管理を任されるようになったご縁で次第にコンピュータ通信に関心が高って行きました。
その当時はパソコン通信が主流で企業の拠点間の通信も64kbpsのISDNとかでしたが、2000年代に入る直前に「爆発的な普及が予想されるインターネットのビジネスに携わりたい」という思いから某大手企業のインターネット系事業立ち上げに参画(転職)しました。
最終的にはその事業がうまく軌道に乗って、立ち上げから50歳目前までの13年間も在籍することができました。
郊外の事業部に異動、明らかに盛りを過ぎた
しかし何事にも変化は付きもので、50代目前に創業メンバーとして立ち上げからやってきた事業部がグループ会社へ吸収される話が決まり、私にも転機が訪れました。
(ちょうど会社全体も大きな赤字を垂れ流していた暗黒時代で、あちこちの事業部で大規模なリストラが行われていました)
大きな転機には複数の不運が重なることがままあります。
まず1つ目は、立ち上げから苦楽を共にしてきた上司(事業部長)が残念ながら神経系の難病に罹ってしまい早期退職を決めたこと。
2つ目は、事業がグループ会社に吸収されることになり組織を変える必要に迫られて私のポジションも微妙な感じになったこと。
3つ目は、郊外の事業所の方から「新規プロジェクトを立ち上げるので参画しないか? IT系技術+英語ができる人が欲しい」とお誘いが来たことです。
それで「ご縁に従うしかない」と思い、私は郊外の事業所に異動しました。
ですが、それまでベンチャー企業だったら主要幹部の様な仕事をしていた自分にとっては、気分的には「落ち武者」でした。
やっぱり「運が良ければもっと上にいけたはず」という気持ちがどこかで引っ掛かっていたようです。
落ち目の事業部が赤字を垂れ流す、早期退職の予兆
50歳目前にして異動した先は、自宅からは程近い郊外の事業所で、異動して良かったと最初の頃に思ったことは「通勤がすごく楽になった」ことでした。
そこでは管理職を離れて心機一転、LAMPシステムの要件定義、基本設計、海外含めた顧客への提案・導入SI、技術アフターサポートなど新しい仕事に打ち込むことになりました。
就職するときには「大手メーカーの大量採用組にはなりたくない」と言ってベンチャーの様な通信会社に就職した私でしたが、それから30年経ってみると大手メーカの大量採用組と一緒に仕事をしているとは皮肉なものでした。
若い頃は「成長志向」「ハイリスク・ハイリターン志向」だった私でしたが、50歳を過ぎる頃にはいつの間にか「ローリスク志向」「寄らば大樹の陰志向」になっていました。
総論としては「落ち武者気分」で過ごした8年間でしたが、IT系の現場仕事に戻って、海外の販社のエンジニアと連携して顧客にシステム導入(海外出張)したり、彼らとの繋がりも出来て、それなりには充実していたと思います。
異動する前は管理職で現場から遠ざかっていましたが、この8年間で錆び付いていた現場スキルに再び磨きをかけ、仮想基盤上でのLAMPシステムの設計構築・(海外を含む)顧客への導入支援・設計者としてのお客様保守サポートなど新しい知識や現場スキルも身に付けることもできました。
こんな感じでしたので、やった仕事には大きな不満はないのですが、結論だけ言うとビジネスとしては成功しませんでした。
ビジネス的な成功・不成功が見えてきたときには既に55歳を過ぎていました。
その時所属していた事業部がまたまた赤字に転落し、そして7年ぶりに特別優遇制度と称した早期退職の募集を含んだリストラが始まりました。
私の担当していたビジネスも「近い将来に収束する」との決定が下され、人や部署を減らす計画が明らかになり、私の居場所も来期から無くなりそうでした。
それで、特別優遇制度というリストラ策に渋々乗って早期退職することにしたのです。
プータロー生活からの再就職、契約社員だけど
早期退職して無職になったとたんに、コロナ禍の非常事態宣言になりました。
Σ(・□・;)
「経済的にはもうセミリタイアでいいや」
「世の中がコロナから落ち着くまでは無職でもいいや」
って思いながら無職の生活を過ごしていました。
私自身も「もうフルタイムで働きたいくないな~」という気持ちもありました。
ですが、IT系の仕事以外に打ち込めるものが見つからず、
色々と自分で考えたり、兄弟や友人達と話すうちに、
自分の場合は「無職でダラダラと過ごすのは体と心に良くない」と判断して
再就職することにしました。
収入が半減以下になることを許容して、再就職しよう!となったものの、
仕事内容がキツかったりすれば「ブラック企業に再就職してしまった」ことになるので、その点は不安でした。
中高年を雇用してくれる所は「中小企業」がメインなのですが、ネットでの口コミ情報自体が少ないので外からは分からないのです。
結果的に「収入が少ないのは仕方ないと考えて」「ITエンジニアとして教育機関で働く」という道を選んだのでした。
ポイントは「生徒・学生は夜間・休日・夏休みなどには居なくなるので、主役の居ない時には仕事も忙しくないだろう」と考えたのです。
再就職した契約社員、仕事内容の実際
私の場合、結論から申し上げると「時給なりの仕事の難易度&キツさ」になっています。
つまり自分が早期退職する前と比較すると、
「時給換算では50%超えのダウンだけど、仕事のキツさもそれに見合っている」
という実感があります。
予想通り「生徒・学生が居ない時間帯・期間」は仕事も忙しくないし、毎日定時で帰ることも可能です。
実際に残業はほとんどしていません。
仕事内容は学内のITインフラ(ネットワークやサーバー)やPC(パソコン)の面倒を見ることです。
※リスクが高くて高い専門性が要求される作業は専門ベンダーに外部委託します
ネットワークやサーバーなどインフラ設備更新の時は休日出勤することも年に数回くらいありますが、振替休日を取ることがルールになっているので平日に休みが取れます。
それから、たまには「埃が溜まった床の隅でカーペットを剥がしてフリーアクセスを開けて、有線LANの敷設作業やトラブル対応」など手が汚れる仕事をすることもありますが、
自分で手足を動かして上手く対応できた時の達成感は得られます。
手足を動かしながらも頭も使うのでバランスが取れていて「案外、自分にはマッチしているかも」という感触です。
「こんな末路」ですが、健康で働けていれば良しとする
私の場合は幸か不幸か、50歳頃に管理職から離れて、(B2Bの顧客向けITシステムの一部となる)LAMP構成のシステムの設計/構築/運用/市場サポートという「現場」に再び戻りました。
いま振り返ってみると、「管理職で早期退職するよりも、早期退職するまでの8年間は再び現場に戻って、実戦力・現場力に磨きをかけることができて良かった」と思います。
再就職後の私は、決して厚遇とは言えない契約社員ですが、再就職すると決めた時点でこれまでのプライドはほぼ無くなったと思います。
そういう意味では、もしもスムーズに再就職していたら、「中小企業では扱いにくい、プライドが高い大企業出身者、現場では使い物にならない」となっていたかもしれませんが、
肩の力が抜けた(現場仕事もこなせる)自分へと変わることが出来たのは、逆に無職の生活のお陰なのかも知れません。
以上、57歳でコロナの感染拡大と同時に早期退職して、8ヶ月ほど無職の生活をして、何とか再就職したロコ父さんの末路でした。
ご参考になれば幸いです。
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